鬼火的駄文集

元白塗りバンドマン、今はしがないサラリーマンのしがない文を

変わりゆく世界と共に紡がれる曲

2022年公開の映画「TELL ME ~hideと見た景色~」がアマプラ見放題に入ったので観ました。

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只のいちリスナーですが、hideさんとの出会いについて。

中学校3年生だった1990年の夏、友人から「これ凄いよ!」と貸してもらったCDがX(X JAPANの旧名)のメジャーデビューアルバム「BLUE BLOOD」だった。

BLUE BLOOD

1曲目、物語の幕開けを思わせる壮大なPROLOGUE(~WORLD ANTHEM)で始まり、さあどんな曲が…と思ったその刹那、流れ出したのは中学生にとっては狂気とも思えた激しいフレーズの嵐。アルバム名にもなった曲「BLUE BLOOD」だった。

あまりの激しさに慌てて一度再生を止めたほどだった。
暑い夏の和室。通販で買った無名メーカーのWラジカセ。
今でも忘れられない記憶。

まさにXとの出会いは電気的啓示だったのかもしれない。

そんなXの個性的なメンバーの中でもひときわ強烈な存在感だったのはギターリストのhideさん(当時の表記HIDE)だった。

ルックスや存在感だけではなくその音楽的才能にも憧れを抱かざるを得なかった。Xの楽曲の中で「この曲かっこいいな」と思う曲、1stアルバムのCELEBRATIONや2ndアルバムのMiscastやJokerなど、調べてみるとhideさんの楽曲だった。激しさだけではなくどこかポップで独特なフレーズ、そして言葉の選び方がまた面白い!気持ちが上向きになれる曲だった。


1993年、Xの活動と並行して始められたソロ活動。発表されたEYES LOVE YOUや50%&50%という楽曲、当時は狂った様に何度も聴いていた。

1994年、ソロでの1stアルバム「HYDE YOUR FACE」発売。このアルバムも毎日のようにポータブルCDプレイヤーに入れて通学時に聴いていた。あまりにも持ち出していたからか、今では盤面が傷だらけで音飛びがひどいのが悔やまれる。

HYDE YOUR FACE

1997年、Xの解散後、hide with Spread Beaverとして活動をしていく。
残念ながらライブ会場に足を運ぶことは出来なかったが、発売されたライブビデオでその様子は見ていた。全てのメンバーやスタッフまでもが楽しそうな顔で映っているので、画面越しに見ているこちらも心浮き立つライブだった。


1997年、自分もこのあと20年ほど続くバンドの活動を始める。自分のパートは残念ながらギターではなくベースだが、hideさんへの憧憬は強く、メイクや髪型に多少エッセンスとして取り入れた時期もあった。違う!というクレームは勘弁してください。

ツンツンに立てた髪にバンダナを巻くのは初期のhideさんのスタイル

1998年5月2日、当時勤めていた渋谷の会社で夜勤だった。16時頃職場に到着すると日勤の社員から「hideが死んだって」と聞かされる。

その時の心境は正直覚えていない

夜の休憩時間に許可をもらって外出し、原宿駅近くの神宮橋に行ってみた。当時ヴィジュアル系の聖地と呼ばれていた橋。理由は知らないし、今もそう呼ばれているのかも知らない。

そこには泣き崩れている女性がたくさん集まっていた。
そこで初めて本当に亡くなったんだと実感した。

夜のニュース番組でも繰り返し取り上げられていたが、業務として観ていたのでなぜか何も思わなかった。いわゆる無の心というか。いや、無ではなく真っ白だったのかもしれない。目の前を濃霧が覆っているような。前も後ろも何も見えない。

翌日夜勤が終わり、駅のキヨスクでhideさんの死去を報じるスポーツ新聞を1部買って帰宅。風呂に入っている時に初めて涙が出た。一度出た涙は止まらなくなり、湯船の中で咽び泣いた。

hideさんの死去後、5月中に予定されていたシングルCDが続けて発売になった。
ピンクスパイダー」「ever free」
2曲ともにhideさんらしいキャッチーであり先鋭的な楽曲と歌詞だった。

そして10月にシングル「HURRY GO ROUND」発売。

そのサビの歌詞

蔦は絡まり 身は朽ち果てて
思い出の欠片 土に帰り
また 花となるでしょう
Like a merry-go-round and round
また 春に会いましょう


春に会いましょうって…
それはずるいわ
きっとファンはみんなそう思ったことだろう。

そして11月に3rdアルバムとなる「Ja,Zoo」が発売。

Ja,Zoo

このアルバム制作の苦労が、この「TELL ME ~hideと見た景色~」という映画に描かれているので、ぜひ観てほしいものです。


そのあと、hideさんのことを敬愛するアーチストたちによってトリビュートアルバムが何枚か作成されたり、ベストアルバム的なものが発売されたり、イベントがあったり、横須賀にミュージアムができたりと、hideさん関連のことが諸々あったがほとんど不買そして不参加だった。

自分のhideさん好きを知っている人からは、なぜ家からも近いhide MUSEUMに行かないのか分からないと言われることもあったが、断固として足を運ぶことはなかった。


理由は…自分でもよく分からないけど「嫌だったから」としか言えない。

ご本人が使用していた機材や衣装など貴重なものが見られるのはそこだけだろうし、トリビュートアルバムでいろいろな人がカバーした雰囲気の違う楽曲を聴くのも面白いのかもしれない。

でも、そこにhideさんはいない。

生前のhideさんの活動を見ていると、この先どんな楽しいことをしてくれるのだろう?という期待感があった。そんな気持ちで溢れていた。どうしようもない仕事や個人的な事情などいろいろあっても、それを忘れさせてくれるような楽しいことがきっとある。そんな未来を見せてくれる存在がhideさんだった。

だからhideさんの抜けてしまった世界に夢を未来を見ることができなくなっていたのかもしれない。

hideさんが好きだったことは最近ではあまり公言しなくなっていた。


そしてこの映画を観た
「TELL ME ~hideと見た景色~」

映画『TELL ME hideと見た景色』 hideの実弟が綴った物語を映画化!兄の意思を継いだ弟が、仲間達と困難を乗り超えた先に見る未来。映画『TELL ME hi movies.kadokawa.co.jp 

この映画ではhideさんが亡くなった後、残された作りかけの作品をなんとか完成させようとする実弟松本裕士さん(今井翼さん)やI.N.Aさん(塚本高史さん)、そしてバンドメンバーの苦闘が描かれている。hideさんがいないことで上手く進行しなかったり衝突があったり…。そして激しい中傷に傷ついていく関係者たち。

ただのいちリスナーだった自分ですらこの空虚感だったのだから、共に活動されていたメンバーや関係者の衝撃、そして喪失感たるや想像を絶する。そこらへんを上手く描いていると思う。

周辺にいた人たちが頑張って未来へ向かっていたのに、あれから25年自分は何をしていたんだろうと情けなくなる。

デタラメと呼ばれた君の自由の
翼はまだ 閉じたままで眠ってる
Ever free この夜を突き抜けて
目覚めれば 飛べるのか Freeに

Ever free 何処に free? Ever free

ever freeより

33歳で亡くなったhideさんが生きていれば今年で59歳だそうな。
もう来年は還暦。

もし…を考えるのは無駄なことかもしれないけれど、どうしても考えてしまう。もし生きていたら、還暦のhideさんはどんなことをしているのだろうか。きっと我々の想像のはるか上を行くことを楽しそうにやってくれたんだろう。

もし…はもうやめて

ではこれからどうやって生きていくのか。
ずっと心のどこかに重くのしかかっているものがあるのは事実。それを隠したり捨てようとしたりすることはせず、抱えた状態の自分を認め、少しでも先に向かっていかないといけないのだろう。

音楽で世界を変えるなんてできない。
でも自分自身は変われる。自分が変わることで自分の周辺にだけ少し影響を与えられることができたら、それは世界が変わったことと同じくらい凄いことではないだろうか。hideさんの楽曲から自分はいろいろなものを貰った。きっと何千何万という人が大切なものを貰ったはずだ。だから少しだけでいいから変わっていこう。

君は 嘘の糸張りめぐらし
小さな世界 全てだと思ってた
近づくものは なんでも傷つけて
君は 空が四角いと思ってた

捕えた蝶の 命乞い聞かず
君は空を睨む
「傷つけたのは 憎いからじゃない
僕には羽根が無く あの空が 高すぎたから…」

わずかに見えた あの空の向こう
鳥達は南へ
「もう一度飛ぼう この糸切り裂き
自らのジェットで あの雲が 通り過ぎたら…」

ピンクスパイダーより